【神迎え】ヒフミの食べ方で病なほし!?

 

よく噛むコトは、よくカム(神迎える)コトで、自然治癒力が高まり人間関係も自然によくなっていきます^^

病の原因には心身のケガレがあり、全920帖(九二十:クニトコ)ある日月神示には、咀嚼と病治しについて書かれた帖があります。

「ケガレ」とは「穢らわしいもの」「汚いもの」という意味ではなく、「氣枯れ」は「氣」という生命エネルギーが枯れるコトです。


病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。

誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。
悪くなると云ふことないのぢゃ。

迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。
神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。

毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。
その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。
朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。
神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。

食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。

人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。
食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。  

一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。
腹八分の二分はささげよ。

食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。
神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。
メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。

運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。
腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。  

ささげるからこそ頂けるのぢゃ。
頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。
衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。

人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。
人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。

遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。

そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。  

理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな氣つかん理(ミチ)、氣つかん病になってゐるぞ。

ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。
先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。
病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。

六月九日、ひつくの神。

食を正せば血が清まり、肉体は細胞レベルで浄化されていきます。(禊。ケガレを祓う行い)

日月神示では、食する物へ感謝と愛の祈りを届け、咀嚼(よく噛んで食べる)を勧めています。

遠くて近いもの

霊的に遠く、距離的に近いモノという意味。

「三里(四里)四方のものを食すれば病せず」という言葉もあり(三里12㎞、四里16㎞)、歩いてその日のうちに行って帰ってこれる範囲。国産、出来れば地産地消できる物。
カミというのは、その土地その土地の人々へ必要なものを与えておられます。ですので、暑い土地(または季節)には身体を冷やすものを、寒い土地(または季節)には身体を温めるものを。
地場のものを戴くのが理にかなっているのです。

「遠いもの」とは靈的に遠いもののコトで、人間の性質から遠いものが好ましいです。牛や馬などの四足動物は人間の性と近く、植物などが最も遠いものとなります。

ヒフミの食べ方

四十七回カミ(咀嚼し)、飲み込む。「四十七」というのは、ヒフミ祝詞に含まれる四十七音の言霊のコトです。

「ひふみ、よいむなや、こともちろらね、
 しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、
 うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ(ん)」

そのように一二三祝詞(ひふみのりと)を心で唱えながら咀嚼します。

噛む(カム)という行為は“上”と“下”の歯(ハ)を噛み合わせることであり、「良より良きコトがたくさん訪れるように神に合わせる」という祈りの“型”でもあります。

※「歯は=葉」の意味もあり、植物にもなぞらえてつけられた身体の命名は、「芽が生え⇒葉が育つよう」身体の不調が出やすい部分を伝える意味もあります。

そして言靈表から観るとカムは、「カ=チカラ・光」「ム=広がり」という意味があり。

日月神示には「“上”の歯は火ざぞ、“下”の歯は水ざぞ。火と水と合すのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ、肉となるぞ。」と書かれた帖もあります。

※上は動かず下(舌)が動く。ここからも霊主体従を示唆しています。

四十七回、“上”と“下”の歯(ハ)を合わせるコトは、「カミ=火(カ)水(ミ)、神合わせる祈り」であり、噛めば噛むほど神人合一へ至るミチでもあります。(古神道に伝わる玄胎結成、ミトノマグワイ、陰陽合わせ)

カムとは“カミ”、“火水(カミ)”合わせるという意味でもあるのです(カムナガラ)。
そして飲み込んで、48音目の「ン」となります。

ヒフミの食べ方とは、ヒフミ祝詞を心の中で唱えながら四十七回カミ「ん」で飲み込むコトです。

回数はあくまで目安で、必ずそうしなければならない訳ではありません。僕は最初の一口目を47回咀嚼して「ん」で飲み込むようにし、その後は一口20~30回咀嚼するようにしています。

貪るコトは、必要以上に身勝手な行い(自分勝手な祈り)ですから、病氣になるのも一つの氣づき・・・「そっちのミチは違うよ~」というカミからのギフトなのでしょう。

そして噛み合わせは⇒神合わせへとつながり、周囲との人間関係もよくなっていきます^^

肉食はケガレのもと

「四つ足を食ってはらん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食物は五穀野菜の類であるぞ」『碧玉之巻』第八帖

と日月神示にあり、獣肉は禁忌食とあります。

「日本には五穀、海のもの、山のもの、皆人民の食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ」『梅之巻』第十四帖

「日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物間違えるでないぞ」『空之巻』第十二帖

と日月神示にあり、魚介類は食べ物として許されているようです。

「心は草にも木にも石にもあるぞ。天にまたたく星にもあるぞ。ただ薄いか厚いかの相違であるぞ。」『黒鉄の巻』第二十五帖

動物性食品はなるべく摂取しない方が良いですが、あまり厳格にやり過ぎると、過ぎるコトは灰汁(アク)を生みますし、日常生活に支障をきたしますのでほどほどに。一段一段少しずつがアメツチのミチです^^

※例えば、付き合いで食事をしなければならない場合、自分だけ魚介類や野菜ばかり食べてやり過ごす訳にもいかない時、あまり徹底して非動物性食を貫こうとすれば、人間関係を損ないかねないのでご注意を。

なぜ、肉食が禁忌かといいますと、もともと日本には仏教伝来の以前から、肉食を「穢れ」とみる観念がありました。「魏志倭人伝」には、「人が死ぬと喪に服す十日余りは肉食をしなかった」との記述もあり、邪馬台国の時代から既に肉食に対する禁忌の思想があったようです。

ですので、人間に近い動物の肉を食らえば「共食い」となり、氣が枯れてしまい(ケガレ)、心身の生命エネルギーを失うコトにもつながります。

安全な食べ物は、人間の性から最も遠い植物性の食物であり、植物性のものは食べても殺生とはならず、むしろ植物は人に身を捧げるコトで霊的進化を遂げられ、歓喜の波動がそこに生じます。

植物が「緑色」であり続ける理由がわかった! そして人間の生活システムの完成は「植物との完全な共生」にあるのかもしれないことも

おすすめ記事:読んだだけで肉食も遠ざかるブログ【わたしがお肉をやめた理由 その1】

 

胃腸がご先祖さまにも関係する臓器ですので、「咀嚼回数=ご先祖さまを大切にする」コトにつながり、ご先祖さまから大いなる豊かさのエネルギーを受け取りやすくなります^^

咀嚼は三週間ほど続けられると効果を感じてきますので、少しずつ継続して、ご飯をよく味わい食べてみて下さい^^

 

カム=神楽

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写真:グリーンツーリズム

神楽(かくら)とはもともと、はやす(栄やす・映やす・盛り上げる)こと/ものという意味をもつヤマトコトバ。

「かくら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされる節が有力です。
神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味します。

神座を設けて神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、一座の者が歌い、かつ踊って鎮魂招魂[たまふりたまおろし]、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、呪術を行おうとしたのがその古い形式だったようです。

御神楽の始まりは天岩戸の前での天鈿女之命[あめのうずめのみこと]の神がかりにあるとされます。

その後、子孫の猿女[さるめ]氏が鎮魂をもって代々宮中に奉仕し、奈良時代には物部氏の鎮魂[たましずめ]に移って鎮魂祭となり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされます。

神楽の語源を調べていたら、ユダヤとの繋がりも見つけたので、下記に引用せさせて頂きます。

神座がいつしか神楽に代わり、読み方も「かぐら」となったのは何故でしょうか。

それは神座から光明が射して人類に救いが訪れ、喜びに満ちた民衆が、その場で楽しみ踊ったからに他なりません。

その裏づけとして、「かぐら」がヘブライ語で、「救いの確立」を意味することに注目です。

「かぐら」は、ヘブライ語の「カム」に、「救い、購い」を意味する「gaal、ガアル」の名詞形「gulah、グラ」を合わせた言葉です。

発音は「カ(ム)グラ」となり、言葉の意味は「救いの訪れ」です。つまり、神の御座である岩戸から天照大御神が表れ、人類に救いが訪れ、民衆が歓喜に包まれながら歌舞を楽しんだことを書き記した言葉が「かぐら」です。

それ故、神座に代わって今度は「楽」という漢字が充てられたのです。

これで神座も神楽も、「神の救い」が一大テーマとなって繋がっている言葉であることが分かります。

天照大御神が姿を現して、人類に救いが訪れることが神座の背景であり、その救いは、神楽(かぐら)という言葉で表現されたのです。だからこそ、神楽の語源には神座があると語り継がれ、その定説は真実だったのです。

引用:日本とユダヤのハーモニー

 

補足

「霊主体従」「体主霊従」



 

一家に一人ヒーラーを

かむながらたまちはえませ いやさかましませ~♪

あっきぃ拝

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