あなアッパレ!
言霊ヒーリング協会®代表 水谷です^^
「悪抱き参らせよ
善抱き参らせよ」
悪も善もないんだよ、この宇宙のみなでひとつの愛なんだ。
そう優しく諭してくれるような日月神示の大好きな一文です。
今回は、神を全く信じていなかった私が、神を信じるキッカケになった日月神示について書こうと思います。
日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示。
原文はほとんどが漢数字、独特の記号、そして、若干のかな文字の混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」も有る。
私は32歳になるまで、神とはまったく無縁の世界で生きて来ました。
どちらかというと、霊とかスピリチュアルなどは胡散臭いと思っており(笑)、建築で現場仕事に携わり普通に暮らしていました。
ですが、25歳のとき人生の転機が訪れました。
偶然訪れた沖縄の、偶然働いていたBarで雲を消すおじぃに出会い、スピリチュアルな世界にどっぷりはまり、霊能力者のもとで修業し、精神世界の虜になっていました。
幼いころ父を亡くしたコトがあり、
「神様なんて絶対信じない」
と心に誓っていたので、宗教にハマることはなかったのですが…。
スピリチュアルの行きついた果てに、「日月神示」という一冊の書物と出逢いました。
そして、「日月神示」の中に示されていた通りに、3回本を読み終えたある日。
西遊記の孫悟空が頭の輪っかを、お釈迦様に締め付けられるように、
悪いコトを考えると頭痛がするようになりました。

そこから日月神示が先生となり、日月神示に書かれているコトを素直に実践していき、今の恩恵にあやかっています。
日月神示とは先生であり、もう一人の父のような存在。
その日月神示に「言霊」とは、「口、心、行いを一つにしていくミチ、ミコトである」
そう何度も、何度も伝えられております。
口、心、行いのミコトを一つに。
「口にしたことを、心を込めて、行う」
それこそが、神人合一(神とヒトが一体)のマコトの姿であると。
昔タバコを吸っていた時の話ですが。
ミコトを軽く考えていた私は、「タバコ辞めます」と神棚に誓ってから数時間後。
「ま、一本くらいいっか」とタバコを吸いましたら…、
頭がガンガン割れるように痛くなり、二日間寝込んだことがあります。
「ミコトたがえるなよ」
そう厳しく諭されたように、今になってみると思います。
私の実の父が幼少期に他界しているので、そのような父親的な躾けを受けるコトが重なっていくと、いつしか日月神示を父のように慕う気持ちが芽生えてきました。
日月神示を通しで3回読んでからは、だいたい毎朝1ページずつ直感で開き、その日の氣づきを頂くようにしていて、
時には「アイタタタ・・・」と、ズバリの指摘を頂くような不思議な感じがします。
「日月神示」の一番最初の部分には、こう書かれていて。
『二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、
仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから
みたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ』
「一筋の誠を通してくれよ」とは、
「口、心、行のミコトを一つにして生きてくれよ」という風に私には聞こえます。
今も神社に祀られている神様で「~命」とされている方が多いのは、昔の偉い方々は「口、心、行」が揃っておられ、ミコトを一つにするコトで「人は神にもなれる」というコトを伝えているのだと思います。
実際、ホツマツタヱには「神上がり」と呼ばれる儀式(山奥で国民の幸せを祈り一人召されていく儀式)を豊受大神、天照大神、歴代の神々が行っていたと書かれていますし、
私たちが死んだ後にいく霊界(幽界や神界)について書かれている小桜姫物語には
天照大神様が神界をとりまとめているとされています。
天照大神様といえば、こんなエピソードもホツマツタヱには綴られています。
伊勢神宮の内宮に祭られておられる天照大神は、生前のお名前をアマテルとおっしゃいました。
日本国のリーダーであられたアマカミは、毎朝アモト(宇宙の元、中心へ)、国民の幸せを祈ることを日課とされていました。
冬の雪降るどんなに寒い日でも、地面に伏してお祈り下さいます。
それは、国民の幸せを願ってのことで、宇宙の中心に祈りを捧げて下さいました。その時、二拍された後にうたわれていたのが「アワの歌」で、神社参拝で行う柏手の二拍は、それがもとになっているとも伝えられています。
そのように、神社に祀られている神様のコトを学んでから神社へ行くと、今までにない感動が全身に押し寄せてきます。
苦しいのは自分だけではない。
迷うのは自分だけではない。
神と崇められているご先祖様も様々なでき事を乗り越え、
ゆたかなクニを築いていったのだ。
そう、ご先祖様の目に見えない無限なるアイに氣づくことができたのは、日月神示やホツマツタヱのお蔭です。
『日月神示』を読む人のために
日月神示は中矢監修の「完訳日月神示」新品がおススメ
中古はどうしても穢れてしまい、紙(神)に宿るパワーが落ちてしまいます。
転載元 <https://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201010008>
昭和十九年六月十日(旧五月五日)から始まった、この『原典日月神示』(私は、「一二三」(秘文)と呼びます)は、当時の多くの人々を力づけましたが、その後三十年、予言通りに世界は行詰って来ました。
しかし、建設原理の決め手は、今日まで解からなかったようであります。さて、人間に、もし「言」(コトバ)が無かったら、この世界はどうなっていたでしょうか。第一、文字という目の言が無かったら、今日の一切の文化は無かったと思います。
この『日月神示』の建設の原理のポイントは、新しいヒカリの九十八(コトバ)が○(※原文は「○」の中に「ゝ」が入る)である「事」と、てん日(シ)さまをマツレよ、という事にしぼる事ができると思います。
人類が、何千年の間の戦いに、疲れ果てている今日のような時代になって、いよいよ人々は、命や言葉の正体を知ろうと自らを見つめ出しております。
世界中で、この百年程前から始った「言語探究の旅」は、日本にも火がついて、書店には、新刊書が、次々とならぶようになりました。
このような時、「命」を「命波」(メーハ)としてとらえ、「言」を「光透波」(九十八)と解き、実測的な幾何、力理、E(エネルギー)論で、証明している人があります。
この「ふで」は、このような解明の秋の来る事を予言しており、「日月の巻」に、「九十八とこのふでと、心と行ひと、時の動きと、五つ揃ったら誠の神の子ぞ、神ぞ。」と示してあります。
先ず、第一に、「光透波」が言の種である事を認識し、潜在意識にたたんでから、この「ふで」を読みませんと、神意に添わないという事だと思います。度々出て来るてん日様を真通理(マツリ)て、という事も、天の詞(シ)が真理であるから、天の詞を知るという事が、真理に通う事だと解ります。
この「ふで」の研究を望まれる方は、私が発行している月刊機関誌「至恩通信」を、ご参照願えれば幸いです。
終り(四百五十二頁)に、記号や数の意味を、思いついただけ書いてみました。「数」には、もっと密意があり、一から十までの数は、一行は「アイウエオ」で、五十音全部が含まれており大冊の本になりますので、「至思通信」を御覧頂く他ありません。
言の正体を知る事は、即命の機構が理解できる事になり、意識の覚命ですから、戦争等頼まれてもできなくなってしまうでしょう。今日まで、世界中誰にも解らなかった、「絶対という事」、すなわち四次元にも絶対四次元(時間)のある事が理解でき、空間の無限三次元の正体も解明されるでしょう。
そして、十六巻「ア@の○木」(←※左の「@」は実際の原文では右回りの「うずまき」のような絵文字です)の理解が、容易となり、後段の「一二三」の建設の意味も理解可能となると思います。
昭和五十一年二月九日
三重県菰野町至恩郷にて
岡本三典(転載ここまで)
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水谷拝
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