あなアッパレ!
言霊ヒーリング協会®代表 水谷です^^

突然ですが、私は三十路になるまで、神を信じたことがありませんでした。
幼い頃に父を亡くし、「もし神がいるなら、こんな辛い思いはさせないはずだ」と、父を奪った神を本気で恨んでいたからです。
「え、どうなっとるん!?」そんな私にまさかのでき事が・・・
「父を奪った神さまなんて絶対信じない」と誓いを立て生きてきた私が・・・、
”言霊”で人生が激変!!!
今では毎日「神さまありがとう~」と祈りまで捧げるようになりました!
ずっと神を恨んでいた私が、神を信じるまでに至った”言霊の叡智”が、今回ご紹介する『使命和歌』なのです。
使命和歌の物語
神なんていないと思っていた日々
今でこそ私も、家族に愛され仕事も順調で、順風満帆の生活を送らせてもらってますが、神や言霊の力を信じられない頃はハッキリ言って、何をやってもダメダメでした。
「はぁ~、また今日も仕事か~。。。休みたいな~。
でも、行かないといけないし・・・はぁ~」
そんな風に、ため息からはじまる朝。
仕事と家の往復にクタクタの毎日。繰り返す憂鬱な日々に、当時の私は疲れ果てていました。
仕事をがんばって家へ帰ったら帰ったで、心安らぐわけでもなく、妻に気をつかう毎日。
「男だったら、わたしより稼ぐのが当たり前でしょ、もっと稼いで来てよ!」

そんな妻からのプレッシャーと威圧。
高給取りの看護師である妻より稼ぐなんて、雇われセラピストだった私には到底ムリなわけで。
心折れそうになりながら、何とかがんばることができたのは、子供の笑顔に救われていたから。
妻と話すのは氣が重いな・・・、
家に帰りたくないなぁ・・・。
そうやって、嫌な事ばかりに目を向け過ごしていた時でした。
転機は、2011年に訪れた「日月神示」との出会い
そのきっかけが訪れたのは、2011年。東日本大震災が起こり、日本中が大きな悲しみと不安に包まれた年でした。社会全体が「これからどうなってしまうのか」と揺れ動く中、私自身も人生のどん底にいました。
そんな時、沖縄で「雲消し仙人」のもとで共に修行した友人から電話で、**『日月神示(ひつきしんじ)』**という不思議な書物の存在を教わったのです。
半信半疑で読み進めると、そこには**「艮金神(うしとらのこんじん)=クニトコタチ」**という神からの、こんなメッセージが記されていました。
「世界の立て直しは、一人ひとりの生き方の立て直しから始まる」
この一節が、当時の私の心に深く突き刺さりました。「神なんていない」と思い込んでいた私の中で、何かが変わる予感がしたのです。
国生みの地、淡路島で授かったメッセージ
この出会いをきっかけに『日本列島・東経135度ラインが地球の新たな起点になる』という情報を手にし、私は何かに導かれるように、翌2012年の春分の日(宇宙元旦)に淡路島の石屋神社へと向かいました。
日の出を待つ間、うたた寝をしていた、その時です。
ズド~ンッ!!!
まるで雷に打たれたような衝撃が全身に走り、私はその場で跳び起きました!
頭に響いたのは、自分の名前を使って和歌を詠む、という啓示。(後に使命和歌となるメッセージでした)
え、
え、
え~!!!
これって、超おもしろそう!
「神様、ありがとうございます」
そう誰もいない神社に感謝を告げていました。
言霊が人生をひっくり返した
家に帰り、早速そのメッセージを実践し始めると、わずか2日後に驚くべき変化が起きました。
「そんなこともわからないの!?」

以前なら深く傷ついていたはずの妻の一言に、心が揺らがなくなったのです。
「まっ、いっか」と自然に受け流し、「ごめん、ごめん」と素直に返事ができました。ガラスのハートだったはずの私が、いきなり図太くなった瞬間でした。
前だったら、胸にチクって刺さった言葉のトゲにやられ、落ち込んでいたに違いありません。
スゲ~な言霊って・・・。
そう心から思ったことを今でも鮮明に覚えています。
それからも毎日コツコツと使命和歌を実践し、1ヶ月、2ヶ月が経過する頃、またしても大変化が!!?
う、
う、
う、、、、
うまれて来て、ありがとう~!!!
何故か、わけも分からないまま、神棚の前で大号泣。
自分への感謝の念があふれて来ました。
うぇっぐ、うぇっぐ・・・。
嗚咽して涙が止まらなくなり、その場に倒れ込み、生まれてきた喜びが、
これでもか、
これでもか、
これでもか~~~!っと、あふれて来ました。
「ありがとう・・・、うまれて来てホントよかった・・・。
おかん、おとん、じいちゃん、ばあちゃん・・・、みんなありがとう」
そして、その大泣きした日を境に、私の中で何かが大きく変わりました。
”言霊通り”にご縁をたくさん引き寄せ、
”言霊通り”に引き寄せた「縁」が⇒「円」に変わり、
ついには”言霊通り”に、月収30万円を得られるようになりました。
すると、妻の私を見る目も変わり、以前は想像もできなかったほど優しくなり、ヒーリング講師として活躍の場も広がっていきました。
もし、あの日あの時、淡路島の石屋神社へ行っていなかったら、今の私はなかったかも知れません。
そう思うと”ご縁”って、ほんと、神(目に見えない大きな力)によって結ばれているのだと感じます。
あなたの「使命和歌」を知りたい方へ
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もしかしたら、「自分の使命和歌も作ってみたい」と感じていただけたかもしれません。
この「使命和歌」は、淡路島で授かった啓示をもとにした、一人ひとりの魂の設計図を読み解く神聖なプロセスです。そのため、その作り方の詳細をブログで公開することはしておりません。
これは、セッションや講座といった場で、お一人おひとりとのご縁を大切にしながら、その方に最も合った形でお伝えしたい、という私の強い想いからです。
もしご自身の「使命和歌」を知り、言霊の力で人生を動かしてみたいと感じた方は、ぜひ下記の個人セッションをご検討ください。
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補足:使命和歌を支える背景
1. 使命和歌の起点
- 2012年春分(宇宙元旦)、淡路島・石屋神社(主祭神=クニトコタチ)で啓示を受け、「使命和歌」が授けられる。
- その前年(2011年)には日月神示を通じて「艮金神=クニトコタチ」とのつながりを意識。
- 使命和歌は「クニトコタチからの白紙の手紙」として、自分の名前に刻まれた使命を和歌の形で開くものと位置づけられる。
2. 日月神示と艮金神(クニトコタチ)
- 日月神示に登場する「艮金神(うしとらのこんじん)」は、世界の立て替え・立て直しを担う存在。
- 古神道ではしばしば国常立尊(クニトコタチ)と同一視され、封印されていた原初神が時を得て再び働くとされる。
3. クニトコタチと「トノヲシテ」
- 『ホツマツタヱ』ではクニトコタチは初代アマカミ(人のリーダー)。
- 民に食文化や住居の知恵を授け、建国理念「トノヲシテ(天地に根付き、皆で和やかに喜び合う)」を示した存在。
- 使命和歌=個人版トノヲシテ。名前を通じて、自分の使命を立ち上げる「自己マニフェスト」となる。
4. 崇徳天皇と和歌の祈り
- 崇徳天皇(崇徳院)は流刑ののち、「和歌の守護神」として尊ばれた。
- 百人一首の御歌
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとそ思ふ」
→ 離れても最後には一つになる、という和合と希望のメッセージ。 - 使命和歌もまた、「名前を通じて、自分と宇宙・祖先・神々が再びひとつになる道」と響き合っている。
5. 崇徳天皇とクニトコタチの象徴的つながり
- 文献上、両者の直接的な関係は確認できません。
- ただし、両者には共通のパターンがあります。
- クニトコタチ:原初の神として現れるが、その後「封印」され、再生の時を待つ存在。
- 崇徳天皇:流刑後「怨霊」と恐れられるが、後に「守護神」として祀られ、和歌の力を通じて魂を導く存在となる。
- この 「一度退けられ、後に甦る」 という象徴構造が、使命和歌の背景で両者を重ね合わせている。
まとめ
- 使命和歌=クニトコタチから授けられた「個人版トノヲシテ」
- 艮金神(日月神示)=クニトコタチ(原初神)
→ 国のマニフェストを個人のマニフェストへ。 - 崇徳天皇(和歌の守護神)
→ 和歌によって魂に希望と和合を託した存在。 - 両者に共通するのは 「封印から甦り、再生をもたらす」 というテーマ。使命和歌はその延長線に位置づけられる。
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かむながらたまちはえませ いやさかましませ~
水谷 拝