序論:隠された帝王学としての「武学」
現代日本において「武学(Bugaku)」という言葉が語られるとき、それは二つの異なる意味の層を持っている。一つは平安時代より宮中で伝承されてきた伝統芸能としての「舞楽」であり、もう一つは、本報告書が調査対象とする、レノン・リー(李隆吉)氏を中心とするグループが提唱する、古代シュメール文明に起源を持つとされる「帝王学・兵術・医術」の統合体系としての武学である。
本報告書は、後者の「現代武学」に焦点を当て、その特異な歴史観、特に「6400年前のシュメール文明起源説」の構造と論理を包括的に解明することを目的とする。現代のビジネスリーダーや教育者の間で静かな広がりを見せるこの体系は、単なる身体操作のメソッドに留まらず、竹内文書などの古史古伝(いわゆる超古代史)を背景とした壮大な世界観を提示している。なぜ現代の武術体系が古代メソポタミアのシュメール文明と接続されるのか。その背景には、近代日本における「スメラミコト(天皇)」と「シュメール」を言語的・神話的に習合させようとする「日ユ同祖論」や「世界天皇起源説」の系譜が存在する。
本調査では、提供された膨大な資料に基づき、提唱者レノン・リー氏の個人的背景、武学が提示する「自他不敗」の哲学、そしてシュメール起源説の根拠とされる「十六菊花紋」や「竹内文書」との関連性を、学術的かつ中立的な視点から詳細に分析する。これは、現代社会において「創られた伝統(Invented Tradition)」がいかにして権威を獲得し、人々のアイデンティティや精神的支柱となり得るかを探る文化人類学的な試みでもある。
第1章:提唱者レノン・リーと武学の形成過程
1.1 苛烈な原体験と「強さ」への渇望
現代武学の体系を理解するためには、その創始者であり「武学士」を名乗るレノン・リー(本名:李隆吉)氏の個人的な歴史(パーソナル・ヒストリー)を詳細に紐解く必要がある。彼の思想の根底には、幼少期に経験した強烈な「生存への脅威」が存在する 1。
1971年、兵庫県伊丹市に生まれたリー氏は、両親の国際結婚という背景を持っていた。彼が育った環境は、3畳2間の風呂・トイレのないアパートという経済的に極めて困窮したものであったとされる 2。しかし、彼にとってより深刻な試練となったのは、小学校入学後に自身の本名を宣言したことをきっかけに始まった差別といじめであった。これは単なるからかいの範疇を超え、暴力、家出、不登校、さらには自殺未遂やナイフを持ち歩く日々へと彼を追い込んでいった 1。
この「理不尽な暴力」への対抗手段として、彼は7歳で柔道を始めた。彼を突き動かしていたのは、「どうすれば生き残れるか」「本物の強さとは何か」という根源的な問いであった。この問いは、彼を柔道のみならず、空手、ボクシング、キックボクシング、中国武術など、流派を問わず世界中のあらゆるマーシャルアーツ(武術・格闘技)の探求へと駆り立てた 1。
1.2 師との邂逅とパラダイムシフト
リー氏の人生における決定的な転機は、21歳の時に訪れた「武学の師匠」との出会いである。資料 1 および 4 によれば、彼はこの師匠から、技術的な強さではなく、強さを求める「目的」そのものを問われたという。
「お前は誰より強くなりたいのか?」
「何のために強くなりたいのか?」
この問いかけに対し、リー氏は自身の強さへの渇望が、結局のところ「恐怖からの逃避」や「他者への報復」に基づいていることに気づかされたと考えられる。師匠が提示したのは、「敵を倒す技術」ではなく、「敵を作らない、あるいは敵と共に生きる技術」としての武学であった。これが、後に詳述する武学の核心概念「自他不敗(Self and Others Undefeated)」の原点となる。
リー氏は師匠の教えを通じて、武術(Martial Arts)が単なる暴力の技術ではなく、医術(Healing)、体術(Physical Arts)、兵術(Strategy)を統合した、人類をより良い方向へ導くための「武徳(Martial Virtue)」の実践であることを理解した 1。この瞬間、彼の中で武術は「サバイバルの道具」から「世界平和のためのツール」へと昇華されたのである。
1.3 世界的指導者との交流と体系化
自身のミッションを確立したリー氏は、その後、世界各地を巡りながら武学の体系化と普及に努めた。その過程で、彼は武術界のみならず、能力開発やビジネス界の世界的権威とも積極的に交流を持っている。
以下の表は、リー氏が交流を持ち、影響を受けたとされる主要な人物の一覧である 1。
| 人物名 | 肩書き・実績 | 武学への影響・関連性 |
| 蘇東成 (Su Dong Chen) | 武術家、進化武術創始者 | 1992年に出会い、「人生最大のメンター」と仰ぐ。武術の科学的アプローチや哲学的基盤に影響。 |
| ミカエル・リャブコ (Mikhail Ryabko) | システマ創始者、元スペツナズ指揮官 | ロシアの軍事格闘術「システマ」の創始者。武学における「脱力」や「生存戦略」の概念と共鳴。 |
| アンソニー・ロビンズ (Anthony Robbins) | 世界No.1コーチ、能力開発専門家 | 武学をメンタルコーチングや自己啓発の文脈で展開する際のモデル。 |
| ジョン・C・マクスウェル (John C. Maxwell) | リーダーシップ専門家 | 「帝王学」としての武学のリーダーシップ論への応用に影響。 |
| ロイス・クルーガー (Roice Krueger) | フランクリン・コヴィー共同創設者 | 『7つの習慣』の概念と武学の習慣形成(徳育)との統合。 |
| 鬼塚喜八郎 | アシックス創始者 | 2006年の国体優勝時に激励を受ける。経営者としての姿勢に影響。 |
これらの人物との交流は、リー氏の武学が、伝統的な道場武道という枠組みを超え、現代的な「自己啓発セミナー」や「経営者向けコンサルティング」の形態をとって展開される上での重要な権威付け(Legitimacy)となっている。特に、1996年に設立された「武藝団」や、2012年の「一般社団法人国際徳育協会」の設立は、武学を「教育プログラム」として社会実装するための組織的基盤となっている 1。
第2章:武学の世界観と「シュメール文明起源説」の構造
2.1 「6400年前のシュメール」という起源神話
レノン・リー氏が提唱する武学において、最も際立った特徴はその起源に関する主張である。資料 4 および 4 によれば、武学は「6400年前のシュメール文明から始まり、2500年前には成立していた極秘の帝王学」であると定義されている。
一般的な歴史認識において、シュメール文明は紀元前4000年紀(約6000年前)頃にメソポタミア南部で興った人類最古の都市文明の一つとされる。武学の主張する「6400年前」という数字は、ウバイド期からウルク期への移行期にあたり、文明形成の黎明期と一致する。しかし、武学におけるシュメールは、単なる考古学的な古代文明ではなく、高度な精神性と統治能力を持った「スメラミコト(皇)」たちが世界を統治していた黄金時代として描かれる。
この歴史観において、武学は以下のような系譜を持つとされる:
- 起源: 6400年前のシュメール文明にて、王権を持つ者(スメラ)のための統治術として発生。
- 伝承: 世界各地の王家や指導者に「帝王学」として極秘に口伝。
- 分派: その一部が中国に渡り『孫子の兵法』となり 4、一部が日本に渡り「武道」や「礼法」となった。
- 現代: レノン・リー氏らがその失われた(あるいは隠された)叡智を再統合し、現代社会に公開。
2.2 「スメラミコト」と「シュメール」の言語的習合
なぜ、日本の武道のルーツが中東のシュメールにあるとされるのか。その論理的支柱となっているのが、日本語の「スメラミコト(天皇)」と「シュメール(Sumer)」の音韻的類似性である。
資料 8 および 8 は、この説の背景にある論理を端的に示している。
- スメラ(Sumera) ≒ シュメール(Sumer)
- ミコト(Mikoto) ≒ 王・尊(尊称)
この説によれば、古代縄文人は渡来したシュメール人を「神(スメル)」と呼び、彼らの持つ高度な知識(天文学、建築、統治術など)を受け入れたとされる 8。あるいは逆に、日本から世界へ散らばった皇祖たちがシュメール文明を築いたとする説(竹内文書的史観)も混在している。
この「スメラ=シュメール同祖論」は、明治期以降の日本において、欧米列強に対抗するためのナショナル・アイデンティティの模索の中で生まれた「日ユ同祖論」や「世界天皇起源説」と密接にリンクしている。アカデミズムの言語学では、シュメール語は系統不明の孤立語であり、日本語との間に証明された親縁関係はないとされるが 9、武学の支持者層において、この言語的類似は「隠された真実」として強力な説得力を持っている。
2.3 十六菊花紋と古代オリエントの象徴体系
シュメール起源説を補強するもう一つの重要な証拠として提示されるのが、「紋章」の類似性である。日本の皇室の紋章である「十六八重表菊(十六弁菊花紋)」と、古代バビロニアやシュメールの遺跡に見られる「ロゼット(花形)文様」の酷似が指摘されている。
資料 10 および 11 によれば、以下の遺跡に類似の紋章が確認されるという:
- シュメール・アッカド王朝: ナラム・シン王の戦勝碑(紀元前2300年頃)
- 新バビロニア: イシュタル門(紀元前575年頃)
- エルサレム: ヘロデ門(花の門)
武学の歴史観では、これらの紋章は単なる装飾ではなく、「王権の象徴」であり、シュメールの王家が使用していた十六方位紋が、シルクロードを経て(あるいは海路で)日本にもたらされ、皇室の紋章として定着したと解釈される 11。
これに対し、植物学的な事実として、菊(Chrysanthemum)は中国原産であり、古代オリエントには存在しなかったことが指摘されている 10。しかし、ここで重要なのは「実在した花としての菊」ではなく、「太陽や星(方位)を象徴する幾何学的なシンボル」としての連続性である。武学の文脈では、このシンボルこそが、古代におけるグローバルなネットワークと、日本がその正統な継承者であることを示す「物的証拠」として機能している。
第3章:竹内文書(竹内文献)の影響と超古代史観
3.1 「正統な歴史」としての竹内文書
レノン・リー氏の武学における歴史観のバックボーンを形成しているのは、間違いなく「竹内文書(たけのうちもんじょ)」と呼ばれる古文書群の世界観である。資料 8 に見られるように、竹内文書への言及や関連書籍の出版は、武学の思想的ルーツを解明する鍵となる。
竹内文書とは、武内宿禰の孫である平群真鳥(へぐりのまとり)が、第25代武烈天皇の勅命により、神代文字で記された古記録を漢字かな混じり文に翻訳・再編集したとされる文書である。1928年(昭和3年)に皇祖皇太神宮(茨城県)の管長であった竹内巨麿によって公開されたが、アカデミズムからは偽書(古史古伝)とみなされている 13。
3.2 竹内文書が描く「日本中心の世界システム」
武学が採用する竹内文書的な世界観は、以下のような壮大な特徴を持っている 8:
- 世界文明の発祥地としての日本:太古の昔、日本の飛騨(乗鞍岳周辺)や富山(呉羽山・皇祖皇太神宮)に世界の首都「高天原」が存在した。
- 天空浮船(アメノウキフネ)による統治:スメラミコトは「天空浮船」と呼ばれる飛行手段を用いて世界中を巡幸(万国巡行)し、各地を統治していた 13。富山の「羽根」という地名は、その国際空港(飛行場)の名残であるとされる。
- 五色人(ごしきじん)の創造と配置:人類は黄人(日本人・アジア人)、赤人(ユダヤ・ネイティブアメリカン)、青人(北欧など)、黒人(アフリカ・インド)、白人(欧州)の5色に分けられ、日本から世界へ派遣された。武学における「国際徳育」や「人種差別からの解放」というミッション 1 は、この「人類は元々同胞である」という五色人の思想に基づいている可能性がある。
- 聖人の来日伝説:モーセ、イエス・キリスト、釈迦、孔子、老子など、世界の主要な宗教的指導者は皆、日本に来日し、スメラミコトの下で修行し、教えを授かったとされる 13。キリストの墓が青森県新郷村(旧戸来村)にあるという伝説もこれに由来する。
3.3 武学における「神代」の再解釈
レノン・リー氏は、この竹内文書的な物語を、単なる懐古趣味としてではなく、現代に応用可能な「帝王学の系譜」として再解釈している。
資料 4 で語られる「武学は2500年前に成立した」という記述は、竹内文書における「上古」や「不合朝」といった神代の時代から続く叡智が、歴史時代に入って体系化された時点を指していると考えられる。
また、リー氏が使用する「神代文字」や、古代の儀礼を復興したとされる「志禮法(しれいほう)」などの実践は、失われた古代日本のテクノロジー(精神文明)を現代に蘇らせる試みとして位置づけられる。彼らにとって竹内文書は、偽書ではなく「隠蔽された真実の歴史書」であり、武学はその真実に基づいて、現代人が失った「本来の能力」を取り戻すためのメソッドなのである。
第4章:武学の技術論と哲学:「自他不敗」のメカニズム
4.1 「自他不敗」のゲーム理論
武学の核心的な哲学は「自他不敗(じたふはい)」にある。これは、「自分も負けない」「相手も負けさせない」という状態を最上の勝利と定義する概念である 1。
従来の武道や格闘技が「いかに相手を倒すか(Victory)」を追求するゼロサムゲームであるのに対し、武学は「いかに共に生き残るか(Survival & Co-prosperity)」を追求するノンゼロサムゲームへの転換を目指している。
この思想は、『孫子の兵法』に見られる以下の概念をさらに拡張したものと言える 7:
- 「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」
- 「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
武学では、戦いが発生した時点で「敗北(リスクの発生)」と見なす。したがって、究極の武学とは、物理的な戦闘能力を高めること以上に、敵対関係そのものを無効化するコミュニケーション能力や、相手を味方に変える徳性(リーダーシップ)を磨くことに重点が置かれる。
4.2 五大不確定要素とリスクマネジメント
武学では、戦闘やビジネスにおいて必然的に直面するリスクを「五大不確定」として定義し、これに対処するための思考法を訓練する 4。
| 五大不確定要素 | 解説 | 武学的対応策 |
| 1. 相手の能力 | 相手がどれほど強いか不明 | 常に相手を過小評価せず、最悪の事態を想定する。 |
| 2. 相手の人数 | 1対1とは限らない | 多対一を前提とした位置取り(ポジショニング)と意識配分。 |
| 3. 相手の武器 | 隠し持っている可能性 | 素手であっても武器を持っていると仮定して間合いを取る。 |
| 4. 時間 | いつ襲われるか不明 | 「常在戦場」の意識。日常の所作(歩き方、座り方)を武術化する。 |
| 5. 場所 | どこで襲われるか不明 | 環境(地形、逃走経路、障害物)を瞬時に把握する空間認識能力。 |
これらの不確定要素は、現代のビジネス環境(競合の動向、市場の変化、予期せぬトラブル)にもそのまま当てはまるため、武学は経営者に対するリスクマネジメントの教材としても機能している。
4.3 「礼(Rei)」のテクノロジー化
武学の実践において、最も特徴的かつ重視される技術が「礼(お辞儀)」である。リー氏は著書『お辞儀のチカラ』において、お辞儀を単なるマナーや儀礼ではなく、身体機能を劇的に向上させる「身体操作技術」として再定義している 4。
- 正中線の調整: 正しい礼を行うことで、脊椎が整い、体軸(センター)が形成される。
- 脱力と統合: 余計な筋緊張が抜け、身体の各部が統合されることで、潜在的なパワー(重力や反力)が使えるようになる。
- 意識の変容: 相手に対して心からの敬意(礼)を示すことで、脳波や自律神経が整い、心理的な「自他不敗」の状態(敵意の消失)を作り出す。
資料 1 にある「正しい挨拶(礼)をすれば、人間関係が自然とよくなり、人生の心配事が少なくなったりする効果」という記述は、礼が持つ生理学的・心理学的効果を指している。武学では、この「礼」の効果を検証するために、ペアワークによる筋力テスト(キネシオロジーテストに類似した手法)を用い、被験者にその場で「強くなった」という体感をさせるメソッドを多用する。
4.4 志体術と侍礼法
リー氏は、これらの理論を具体的なカリキュラムとして体系化している 6:
- 志体術(Shitai-jutsu): 自身の志(ミッション)を身体化し、ブレない軸を作る体術。
- 侍礼法(Samurai Reiho): 日本古来の侍の所作を現代に復興し、日常の立ち居振る舞いをトレーニングとする方法。
- 酔八仙之術: リー氏が得意とする酔拳の動きを取り入れた、柔軟な身体操作法。
これらの技術は、「型」を覚えることよりも、「エネルギー(気)の流れ」や「意識の持ち方」を重視する点に特徴がある。これは、シュメールや竹内文書といった古代の叡智が、形骸化した儀式ではなく、実用的な「機能理学」であったという彼らの主張と合致する。
第5章:社会的影響と現代における受容
5.1 ビジネス・リーダーシップ教育としての展開
現代武学の最大の特徴は、その主な活動領域が「道場」から「セミナー会場」や「企業研修」へとシフトしている点である。レノン・リー氏は、自身の活動を「国際徳育協会」や「志共育プロジェクト」という枠組みで展開し、世界中の国と地域を回っている 3。
彼がターゲットとしているのは、経営者、起業家、政治家などのリーダー層である。これらの層は、不確実な現代社会において、確固たる指針(帝王学)と、心身の健康を求めている。武学が提供する「6400年の歴史に裏打ちされた帝王学」というブランドストーリーは、彼らにとって強力な権威付けとなり、自己効力感を高める装置として機能している。
資料 18 や 19 にあるように、孫正義氏や織田信長などの成功者が「帝王学」や「志」を持っていたというナラティブは、現代のビジネスパーソンに対して「武学を学ぶこと=成功者への道」というメッセージを伝達する。
5.2 ナショナリズムとグローバリズムの融合
武学の語る「シュメール起源説」や「竹内文書史観」は、一見すると荒唐無稽な疑似歴史に見えるかもしれない。しかし、社会学的な視点から見れば、これはグローバル化が進む現代において、日本のアイデンティティを再定義しようとする試みの一形態と捉えることができる。
「日本の武道や皇室のルーツが、実は人類最古のシュメール文明にある(あるいは日本がシュメールの親である)」という物語は、日本人に対して「我々は世界の辺境の民ではなく、文明の中心的な継承者である」という誇り(ナショナル・プライド)を提供する。同時に、「五色人」や「人類みな兄弟」という概念は、排外主義的なナショナリズムを回避し、グローバルな連帯(世界平和)を訴えるための論理的基盤となっている。
この「日本中心主義(Japan-centrism)」と「世界平和主義(Cosmopolitanism)」の巧みな融合こそが、武学が多くの支持者を集める要因の一つであると分析できる。
第6章:批判的検討と学術的視座
6.1 アカデミズムからの評価
歴史学、言語学、考古学の観点からは、武学の主張する「シュメール起源説」や「竹内文書」の記述は、史実として認められていない。
- 言語学: 日本語とシュメール語の関連性を主張する説は、大正・昭和初期に流行した民間語源説の域を出ておらず、学術的な比較言語学の手法による証明はなされていない 9。
- 考古学: 菊花紋とロゼット文様の類似は、デザインの収斂(単純な幾何学図形の偶然の一致)である可能性が高く、直接的な文化伝播を証明するものではない 10。菊が日本皇室の紋章として定着したのは、平安時代後期(後鳥羽上皇)以降であり、古代シュメールとの連続性を主張するには数千年のタイムラグが存在する。
- 文献学: 竹内文書は、近世以降に作成された偽書であるというのが通説であり、そこに記された「神代文字」も、ハングルなどを模倣して創作されたものであるとの指摘がなされている 13。
6.2 「創られた伝統」としての機能
しかし、これらを「偽物」として切り捨てるだけでは、武学という社会現象の本質を見誤ることになる。エリック・ホブズボームが提唱した「創られた伝統(Invented Tradition)」の概念を用いれば、武学は現代のニーズに合わせて再構成された「新しい伝統」であると解釈できる。
レノン・リー氏は、断絶した過去の事実(Fact)を掘り起こしているのではなく、現代人が必要としている「強さ」や「誇り」を支えるための真実(Truth)としての神話を構築しているのである。シュメールや竹内文書は、その神話に「古代からの正統性」というオーラを纏わせるための強力な舞台装置として機能している。
結論
本調査の結果、レノン・リー氏が提唱する「武学」のルーツとされるシュメール文明説について、以下の結論が得られた。
- 神話的起源としてのシュメール:武学におけるシュメール文明起源説は、歴史的事実に基づく学説というよりも、竹内文書などの古史古伝をベースにした「神話的物語(ナラティブ)」である。それは、「スメラミコト=シュメール」という言語的連想と、「菊花紋=古代オリエントのロゼット」という視覚的類似を根拠に構築されている。
- 現代的帝王学の再構築:レノン・リー氏は、自身の過酷な体験と武術修行を経て、「自他不敗」という哲学に到達した。彼はこの哲学を普及させるために、単なる個人の武術理論ではなく、古代から続く普遍的な「帝王学」としてのパッケージングを行った。シュメール起源説は、その教えに「人類最古の叡智」という究極の権威を付与するために導入されたと考えられる。
- ハイブリッドな実践体系:その実態は、伝統的な武術の身体操作(正中線、脱力)、現代的な自己啓発・コーチング理論(目標設定、アファメーション)、そして古神道的な儀礼(礼法、禊)を高度に統合したハイブリッドな教育プログラムである。
- 社会的機能:現代武学は、不確実な時代を生きる人々に対し、「ブレない軸(身体的・精神的)」と「世界とつながる大きな物語(歴史的アイデンティティ)」を提供することで、実利的な効用と精神的な救済の両面を果たしている。
総じて、武学の語る「シュメール文明」とは、考古学的なメソポタミアの遺跡のことではなく、武学の実践者が目指すべき「調和と統合の理想郷」のメタファーであり、彼らのアイデンティティを支える精神的な故郷(ホームランド)なのである。
