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水谷哲朗(みずたにあきお)プロフィール

あなあっぱれ!

言霊ヒーリング協会®代表 水谷哲朗(みずたにあきお)です^^

たった一つの出会いをキッカケに人生が激変し、ご縁に導かれ今、空海の生まれた四国から言霊ヒーリングを広める活動をしています。

25歳の頃の私は、自分の無力さに失望し、生きる希望をもつことすら難しく感じ、いつも死ぬ事を考えていました。

そんなどん底な暮らしに光が差し込んだのは、“雲を消せるおじぃ”との出会いがキッカケでした。私の目の前でスイスイと雲を消せる不思議なおじぃとの出会いにより、

私の人生は大開花!

その後、不思議な世界への興味と、自分の可能性の限界へのチャレンジにより、山籠もり、滝修行、仙人修行、神道など、精神世界やスピリチュアルな世界を学ぶことに。

やがて、現実的に身体へアプローチする整体の学びを得て、そのすべてが一つになっていきました。

そんな頃、偶然辿りついた映像をみて、衝撃が走ったのです。その映像には、ある主催者の方が、参加者の方に、ただ手を差し伸べるだけで、

一瞬で人々が癒されていく姿が!

それからまもなくして、「心と体は繋がっているということは、言葉がけ次第で、人の体は変化するはず!」という考えから、2012年に「言霊ヒーリング」を考案。

言霊ヒーリングは、”言葉がけ” だけで、胃が上がったり、体温が上がったり、肩こりや腰痛が回復するなど、多くの身体的な変化と心の変化を同時に感じるオリジナルヒーリング。

おかげさまで、クチコミで全国に広まり、今では、大阪・名古屋・東京など大都市だけにとどまらず、全国へ飛び、言霊ヒーリング講座を開催。

その数は、すでに400回を超え、参加者はこれまでに3,000名を超えています。

私の人生経路

1978年水谷哲朗(みずたにあきお)
三重県生まれ。A型 しし座。
幼少の頃は、近所の神社でかくれんぼ、缶けり遊びに明け暮れる。
小6のとき、言葉を綴る「詩」のたのしさに目覚める。
中学校卒業。
高校ではノリで生徒会長を務める。
高校卒業後、夢探しと自分探しをはじめる。
1997年19歳。東京都練馬区の建築会社へ就職。
2002年24歳。「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで企業を決意。
東京から⇒横浜の営業会社へ転職するも、2ヶ月でクビに。
高校時代から7年付き合っていた彼女にもフラれ、失意のどん底へ・・・。
2003年25歳。地元三重に帰郷。
荒んだ生活の末「生きる意味」を求めるように。
たまたま見つけたネットの求人を見て⇒25歳のとき沖縄へ。
BARでバーテンダーをしながら自分探し。
そこで20歳の女の子を泣かせまくる怪しい仙人との出会い⇒弟子入り。
雲を消す不思議な仙人のもとで、洞窟堀り、滝修行、山籠もりなど様々な修行にあけくれる日々。
2007年29歳。運よく講談社の方と知り合い、その物語が講談社から電子出版。
「なんくるないさ~♪沖縄のおじぃと私の物語 」
2008年30歳。月5万の沖縄修行生活に、さすが将来の不安と限界を感じ帰郷。
地元三重で整体、足つぼ、タイ式マッサージの仕事をはじめる。
2009年31歳。趣味の「詩」を通じ、アメブロで知り合った一人の女の子に惚れ込み⇒うどん県(香川)へワープ。
2010年32歳。結婚し長女を授かる。
2012年34歳。整体院を開業。様々な学びを統合した言霊ヒーリングを考案。
2014年36歳。セミナー講師として活動をはじめる。
2016年38歳。福岡、大分、大阪、神戸、香川、愛媛、東京、千葉、神奈川、岡山、愛知、三重、岩手、北海道でのセミナーを開催。
2018年40歳。言霊ヒーリング協会® の商標を取得
2019年41歳。東久邇宮記念賞受賞
2021年オリジナルのオラクルカード、フトマニカード®を発売

キミも今日から! 「風の時代の」言靈ヒーラーを発売
2022年所持金0円からスタートした四国八十八ヶ所巡礼”0円遍路”に挑戦!壮絶な57日間で1200㎞を歩き、見事に結願を果たしました!
『言霊ヒーリングやフトマニカードに関わる皆さまが健やかに、しあわせに、そして驚くほどミラクルな人生を送れますように』という願いを込めて、特別な結願記念カード「銀フィニティー」を制作。フトマニカード®セラピストに贈呈中です。
あなたも幸運のWインフィニティーを手に入れ、人生を思いのままに輝かせましょう!

私の生まれは三重。

伊勢神宮でも有名な海や山に囲まれたのどかな所です。

子供の頃は母子家庭だったので、父親がいないさみしさ、コンプレックスみたいなものがあったのですが、それを埋めるものに小学生のとき出会いました。小学校の授業で初めて書いた詩がきっかけとなり、それからもう20年以上経った今も趣味で詩を綴っています。

少年時代から空を見るのが好きで、今でもぼーっと空を眺めながめるのが好きです。

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「めんそ~れ!」

で、有名な沖縄で暮らしてからというもの、とてもフレンドリーな性格になり、旅人もしていたことがあるので「一期一会」が染みついています。

そしてその調子で初対面の方にも接していくので、「昔から知っているみたい」とよく驚かれたりもします(笑)

そんな私ですが、思い返せば子ども時代はモジモジした子で、自分が思っていることを人に言えず、いじめられていた記憶があります。

今でも冬になると、たまに手が赤くはれ痒くなる「しもやけ」になるのですが、幼稚園当時はよく「しもやけ」なっていて、その痒いのがたまらなく嫌で、よく泣いていました。

そしてその泣いている私に、追い打ちをかけるように「しもやけかゆいよ~」と数人からからかわれ、冬になると毎日泣いていたような気がします。

小学生になってからも時々いじめられましたが、ある日堪忍袋の緒が切れて、いじめっこのリーダーに頭突きをしたら、逆に大泣きさせることができ、そこからいじめられなくなりました。

小学生のとき嫌だったのは、クラスの連絡簿の「保護者欄」に、他のみんなはお父さんの名前を書くのに私だけ「母の名前」を書くことがすごく恥ずかしく、そしてとても嫌でした。

「お父ちゃんが欲しい」

そうずっと思っていましたが、そんなことを言ったら母が悲しむと思い込んで、本当の気持ちは誰にも言えませんでした。

そしてそんな心の痛みを抱えたまま・・・、小学生~中学生~高校生へと、体だけが大きくなっていきました。

そんな私の思春期は、もちろんコンプレックスのかたまり(苦笑)

・家賃8,000円のボロボロの長屋(隣の家と屋根がずーっと繋がっている建物)
・小さくて細い一重の目
・色白で細いと言われる脚
・好きな子にも好きと言えない意気地なし…

そんな私でしたが、高校卒業は「自分らしく生きる方法を探すため!」、意を決して東京へ上京!

しかし、一生懸命「自分らしく生きる方法」を探すも、情熱はからまわり…。

ニートやホームレスも経験し、信頼していた人から裏切られ鬱になったり、夢を語り合える心友が自殺したり、ずっとコンプレックスだった父の死の真相が自殺だと知ったり…。

生きているのがこころの底から嫌なるくらい、これでもかと嫌なことが重なり、自ら命を絶とうしたこともありました。

でもその度に、必ずと言っていいほど不思議な出会いがあり、心優しいたくさんの人たちのおかげで今、私は生きていることができます。

困っているときに助けてもらえるありがたさ。その温かさ。

その感動が尖っていた私の心をとかし、人とふれ合う喜びや、イノチの尊さを教えてくれたのだと思います。

そして与えられた多くの優しさを今度は私が、他の誰かへ返してゆく。

夢は癒しのペイフォワード。

優しい誰かの想いを受け継ぎ、次の人へ伝えていくことで、世界はほんとうにHAPPYになると信じています。

そのむかし沖縄で出会った雲消し仙人はこう教えてくれました。

「イメージは現実になる」

「感じたら動け。人生の主人公はキミだ!キミの好きなように生きたらいいさ~♪」

そう何度も…。

思い返すと不思議です。

あれだけ病んでいた私がたった一つの出会いで人生が変わり、今では人様に癒しを伝えているのですから。

きっと仙人との出会い、自分の苦しみを分かってくれる人に初めて出会い、心救われたのだと思います。

仙人は私にとって、ずっと憧れ欲していた父のぬくもりを与えてくれた人ですから…。

「癒し」は人を優しくします

「癒し」はこころに余裕を生み

こころに生まれた余裕は思いやりのこころを育みます

「癒し」とはどこまでも深い共感であり

私の生きている意味であり

これから生きていく人生の意味でもあります

ここまで私の胸の内をお読みいただき、ほんとうにありがとうございます。

それではまだ見ぬあなたとご縁があったコト、そしていつの日かお会いできるコトを心よりたのしみにしております。

きっとすべては必然に

なんとかするさ~

なんくるないさ~♪

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P.S

10年前に出会った雲消し仙人と同じように、今では私が雲のけし方をお伝えしています^^

水谷哲朗 拝