「神なんか…いるもんか。」

幼い頃、父の死をきっかけに、
“祈り”も“希望”も信じられなくなった少年がいました。
それがわたしです。
貧困、いじめ、誰にも言えない孤独。
長く付き合った恋人との別れから心が折れ、
生きる気力さえ見失っていた20代。
そんなある日、沖縄で“雲消し仙人”と出会い、
祈りで雲が消えるという出来事に立ち会います。
その瞬間、胸の奥で何かが静かにほどけました。
「祈りって、本当に届くんだ。」
この体験をきっかけに、
私は祈りと癒しの道を歩き始めました。
現在の活動
今の私は、
古代日本の叡智「言霊」と「フトマニ」を使って、
心と身体のゆがみをほどき、整える専門家です。
その人が生まれながらに持つ
“本来の方向性”や“強み”を見つけ出し、
心・体・人生が自然に調和する生き方へ導くこと。
それが私の使命であり、
20年以上ヒーリングを続けるなかで、
延べ5万人以上の人生に寄り添ってきました。
主な実績
- ヒーリング/セッション提供:52,071人以上
- セミナー開催:全国で460回以上、4,600名以上が参加
- 無償の遠隔ヒーリング:32,809名に提供
- 東久邇宮記念賞 受賞
- 書籍出版・全国講演活動
- 言霊ヒーリング®・フトマニカード®を通じた
専門家育成に注力
はじまりは「大根半分」だった
講師として最初に受け取ったお心払いは、
「大根半分」。
「これしか渡せないけれど、助けてもらったお礼に」
と差し出されたその大根を見たとき、
胸が熱くなりました。
“この道で、人を救っていこう。”
そう心に決めた瞬間でした。
その一歩が、今につながる5万人のご縁へと広がっていったのです。
私の志
「誰もが“自分の人生の主人公”として生きられる世界をつくる。」
祈りは、人を癒し、人生を拓き、世界を変える力があります。
私はその力を必要な人に届け、
愛と喜びが循環する地球を共につくっていきたい。
これが、私・水谷哲朗の変わらぬ志です。
私の人生経路
| 年 | 出来事 | 天の導き・意味 |
| 1978〜 | 三重県生まれ。幼少期は神社で遊び、小6で「詩」に目覚める。高校では生徒会長を務め、卒業後、自分探しの旅へ。 | 「神なんかいない」父の死による不信の始まり。魂に「父不在」「神不在」の穴を刻む。のちに癒しと和解のテーマとなる。 |
| 1997 | 19歳。東京の建築会社へ就職。 | |
| 2002 | 24歳。「金持ち父さん貧乏父さん」を読み起業を決意。横浜の営業会社へ転職するも2ヶ月でクビに。7年付き合った彼女にも振られ、失意のどん底へ。 | 「愛・自己・神すべて失った」ゼロ地点。大転換の前触れ。 |
| 2003〜2004 | 25歳。三重に帰郷後、沖縄へ。BARで働きながら仙人と出会い弟子入り。洞窟掘り、滝行、山ごもり、雲消し、マブイグミーで号泣解放。 | 父性との再会。魂の破片を取り戻す。三密(礼→リラックス→イメージ→完了→礼)の原型を授かる。 |
| 2007 | 29歳。沖縄での物語が講談社から「なんくるないさ~♪沖縄のおじぃと私の物語 」として電子出版される。 | |
| 2008 | 30歳。月5万円の修行生活に限界を感じ帰郷。地元三重で整体、足つぼ、タイ式マッサージの仕事を始める。 | 愛=依存ではなく自立。「霊性」だけでなく「現実を整えよ」という導き。 |
| 2009 | 31歳。趣味の「詩」を通じてブログで出会った女性に惚れ込み、香川県へ移住。結婚。 | 家族という現実の基盤づくり。 |
| 2010 | 32歳。長女誕生。 | 「父不在の子」から「父となる者」へ。魂のテーマが反転。 |
| 2010〜2011 | 禅タロット・色靈・レイキヒーリングを学ぶ。 | 「心」「霊」の領域へ拡張。目に見えないエネルギーを扱い始める。 |
| 2011 | 日月神示に出会い、3回読むと頭痛 → 認知の脱皮。 | 「宇宙と神意識」に触れ、魂の器が拡大。 |
| 2012.3.20 | 使命和歌を閃く(春分の日・淡路島)。 | 自分の名前から使命を読み解く。言霊=魂の道具として覚醒。 |
| 2012 | 34歳。整体院を開業し、様々な学びを統合して「言霊ヒーリング」を考案。 | 雲消しを応用。「誰でもできる再現性あるヒーリング」を体系化。 |
| 2014〜 | 36歳。セミナー講師としての活動を開始。 | 個人の施術から、集団への普及へ。 |
| 2016 | 38歳。セミナー開催が全国(福岡、大分、大阪、神戸、香川、愛媛、東京、千葉、神奈川、岡山、愛知、三重、岩手、北海道)へ広がる。 | |
| 2018 | 40歳。「言霊ヒーリング協会®」の商標を取得。タナスエ療法、太元霊氣を学ぶ。 | 融合と「待つ力」を学ぶ。引き算の静けさ。 |
| 2018〜2020 | キネシオロジー、過去生療法、太占ダウジングを開発・習得。 | 人間存在を多次元で把握し、魂の記憶を解放する道を拓く。 |
| 2019 | 41歳。アストロキネシオロジー開発。東久邇宮記念賞を受賞。 | 社会的承認。「修行者」から「公的役割」へ。 |
| 2021 | オリジナルカード「フトマニカード®」と書籍『キミも今日から! 「風の時代の」言靈ヒーラー』を発売。 | 20年の学びを結晶化。「誰でも使える宇宙の言霊体系」。 |
| 2022 | 所持金0円の「0円遍路」に挑戦、57日間で1200kmを結願。記念カード「銀フィニティー」を制作。 | 三密修行・カルマ和解。大地に刻む魂の和解。 |
| 2022〜 | 太極禅の修行を開始。 | 天地人の一体化。身体を通じて宇宙と響き合う。集団エネルギーの操法へ。 |
| 2025 | 22年の学びを統合。 | 「言霊は地球を救う」志の完成。魂の物語が一つに束ねられる。 |

きっとすべては必然に
私の生まれは三重。
伊勢神宮でも有名な海や山に囲まれたのどかな所です。
子供の頃は母子家庭だったので、父親がいないさみしさ、コンプレックスみたいなものがあったのですが、それを埋めるものに小学生のとき出会いました。
小学校の授業で初めて書いた詩がきっかけとなり、それからもう20年以上経った今も趣味で詩を綴っています。<アメブロ>
少年時代から空を見るのが好きで、今でもぼーっと空を眺めながめるのが好きです。

「めんそ~れ!」
で、有名な沖縄で暮らしてからというもの、とてもフレンドリーな性格になり、旅人もしていたことがあるので「一期一会」が染みついています。
そしてその調子で初対面の方にも接していくので、「昔から知っているみたい」とよく驚かれたりもします(笑)

そんな私ですが、思い返せば子ども時代はモジモジした子で、自分が思っていることを人に言えず、いじめられていた記憶があります。
今でも冬になると、たまに手が赤くはれ痒くなる「しもやけ」になるのですが、幼稚園当時はよく「しもやけ」なっていて、その痒いのがたまらなく嫌で、よく泣いていました。
そしてその泣いている私に、追い打ちをかけるように「しもやけかゆいよ~」と数人からからかわれ、冬になると毎日泣いていたような気がします。
小学生になってからも時々いじめられましたが、ある日堪忍袋の緒が切れて、いじめっこのリーダーに頭突きをしたら、逆に大泣きさせることができ、そこからいじめられなくなりました。
小学生のとき嫌だったのは、クラスの連絡簿の「保護者欄」に、他のみんなはお父さんの名前を書くのに私だけ「母の名前」を書くことがすごく恥ずかしく、そしてとても嫌でした。
「お父ちゃんが欲しい」
そうずっと思っていましたが、そんなことを言ったら母が悲しむと思い込んで、本当の気持ちは誰にも言えませんでした。
そしてそんな心の痛みを抱えたまま・・・、小学生~中学生~高校生へと、体だけが大きくなっていきました。
そんな私の思春期は、もちろんコンプレックスのかたまり(苦笑)
・家賃8,000円のボロボロの長屋(隣の家と屋根がずーっと繋がっている建物)
・小さくて細い一重の目
・色白で細いと言われる脚
・好きな子にも好きと言えない意気地なし…
そんな私でしたが、高校卒業は「自分らしく生きる方法を探すため!」、意を決して東京へ上京!
しかし、一生懸命「自分らしく生きる方法」を探すも、情熱はからまわり…。
ニートやホームレスも経験し、信頼していた人から裏切られ鬱になったり、夢を語り合える心友が自殺したり、ずっとコンプレックスだった父の死の真相が自殺だと知ったり…。
生きているのがこころの底から嫌なるくらい、これでもかと嫌なことが重なり、自ら命を絶とうしたこともありました。
でもその度に、必ずと言っていいほど不思議な出会いがあり、心優しいたくさんの人たちのおかげで今、私は生きていることができます。
困っているときに助けてもらえるありがたさ。その温かさ。
その感動が尖っていた私の心をとかし、人とふれ合う喜びや、イノチの尊さを教えてくれたのだと思います。
そして与えられた多くの優しさを今度は私が、他の誰かへ返してゆく。
夢は癒しのペイフォワード。
優しい誰かの想いを受け継ぎ、次の人へ伝えていくことで、世界はほんとうにHAPPYになると信じています。
そのむかし沖縄で出会った雲消し仙人はこう教えてくれました。
「イメージは現実になる」
「感じたら動け。人生の主人公はキミだ!キミの好きなように生きたらいいさ~♪」
そう何度も…。
思い返すと不思議です。
あれだけ病んでいた私がたった一つの出会いで人生が変わり、今では人様に癒しを伝えているのですから。
きっと仙人との出会い、自分の苦しみを分かってくれる人に初めて出会い、心救われたのだと思います。
仙人は私にとって、ずっと憧れ欲していた父のぬくもりを与えてくれた人ですから…。
「癒し」は人を優しくします
「癒し」はこころに余裕を生み
こころに生まれた余裕は思いやりのこころを育みます
「癒し」とはどこまでも深い共感であり
私の生きている意味であり
これから生きていく人生の意味でもあります
ここまで私の胸の内をお読みいただき、ほんとうにありがとうございます。
それではまだ見ぬあなたとご縁があったコト、そしていつの日かお会いできるコトを心よりたのしみにしております。
きっとすべては必然に
なんとかするさ~
なんくるないさ~♪

P.S
20年前に出会った雲消し仙人と同じように、今では私が雲のけし方をお伝えしています。
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