私の太志(たいし) ― 三千人で三千世界を!
あなあっぱれ!
水谷哲朗(あきお)です。
私の太志は、三千人の祈り人とともに、三千世界を創造してゆくことです。
「三千世界を創造する」とは、神界(天の意図)・霊界(目に見えぬ思い)・現界(私たちの行動)を一つとしてゆく祈りの実践です。
クニトコタチの御心を受け、三千人の祈り人とともに「地球が(クニ)、永遠に安定し(トコ)、繁栄し続ける(タチ)」──その在り方をともに創造してゆくことです。
言霊ヒーリングの使命
私はこの“祈り”を形にするために、2014年から講師として立ち、言霊ヒーリングを3,000人に届けると心に決めました。
そしてこれまでに、延べ4,600人以上の方々にその響きをお伝えしてきました。
心・體・魂の歪みが整い、涙とともに「本来の自分」に還る瞬間。
その光景を私は何千回もこの目で見てきました。
言霊は人を癒し、祈りは世界を動かす。
──それが私の信念です。
志の背景
この祈りの道の原点は、幼いころに抱いた「神さまなんかいるもんか」「神さまがいたら父を死なすはずがない。神さまなんか絶対信じない」という魂の誓いでした。
父を亡くし、祈りを失った少年が再び“祈り”を取り戻したのは25歳のとき。
沖縄で“雲消し仙人”と出会い、「雲消し」の体験を通して、
祈りによって人と自然界が繋がれることを初めて知りました。
それ以来、私はヒーラーとして「祈り」について学び、深めてきました。
ビジョン ― 2030年6月1日への祈り
2030年6月1日。
北海道で金環日食の祈りの集いを開きます。
太陽と月に祈りを捧げ、祈り人たちが一つの“響き”となって地球を包む日。
それが、「三千世界の和合」の幕開けとなるでしょう。
結び
私はクニトコタチの御心とともに祈ります。
「地球(クニ)が、永遠に安定し(トコ)に、繁栄し続ける(タチ)」──
それは宗教でも思想でもなく、“生命”そのものを生きる道です。
三千人の祈り人とともに、地球を愛と喜びに満ちた“星”へと再創造していく。
それが私の天命であり、太志です。
── 水谷哲朗(あきお)
主な実績
- ヒーリング・セッション提供:52,071人以上
- セミナー開催:日本全国で460回以上、4,600名以上が参加
- 無償の社会貢献:無償の遠隔ヒーリングを32,809人に提供
- 専門家の育成:現在は「言霊ヒーリング・フトマニカード」を通じて心身に癒しを施す専門家の育成に注力
私の人生経路
| 年 | 出来事 | 天の導き・意味 |
| 1978〜 | 三重県生まれ。幼少期は神社で遊び、小6で「詩」に目覚める。高校では生徒会長を務め、卒業後、自分探しの旅へ。 | 「神なんかいない」父の死による不信の始まり。魂に「父不在」「神不在」の穴を刻む。のちに癒しと和解のテーマとなる。 |
| 1997 | 19歳。東京の建築会社へ就職。 | |
| 2002 | 24歳。「金持ち父さん貧乏父さん」を読み起業を決意。横浜の営業会社へ転職するも2ヶ月でクビに。7年付き合った彼女にも振られ、失意のどん底へ。 | 「愛・自己・神すべて失った」ゼロ地点。大転換の前触れ。 |
| 2003〜2004 | 25歳。三重に帰郷後、沖縄へ。BARで働きながら仙人と出会い弟子入り。洞窟掘り、滝行、山ごもり、雲消し、マブイグミーで号泣解放。 | 父性との再会。魂の破片を取り戻す。三密(礼→リラックス→イメージ→完了→礼)の原型を授かる。 |
| 2007 | 29歳。沖縄での物語が講談社から「なんくるないさ~♪沖縄のおじぃと私の物語 」として電子出版される。 | |
| 2008 | 30歳。月5万円の修行生活に限界を感じ帰郷。地元三重で整体、足つぼ、タイ式マッサージの仕事を始める。 | 愛=依存ではなく自立。「霊性」だけでなく「現実を整えよ」という導き。 |
| 2009 | 31歳。趣味の「詩」を通じてブログで出会った女性に惚れ込み、香川県へ移住。結婚。 | 家族という現実の基盤づくり。 |
| 2010 | 32歳。長女誕生。 | 「父不在の子」から「父となる者」へ。魂のテーマが反転。 |
| 2010〜2011 | 禅タロット・色靈・レイキヒーリングを学ぶ。 | 「心」「霊」の領域へ拡張。目に見えないエネルギーを扱い始める。 |
| 2011 | 日月神示に出会い、3回読むと頭痛 → 認知の脱皮。 | 「宇宙と神意識」に触れ、魂の器が拡大。 |
| 2012.3.20 | 使命和歌を閃く(春分の日・淡路島)。 | 自分の名前から使命を読み解く。言霊=魂の道具として覚醒。 |
| 2012 | 34歳。整体院を開業し、様々な学びを統合して「言霊ヒーリング」を考案。 | 雲消しを応用。「誰でもできる再現性あるヒーリング」を体系化。 |
| 2014〜 | 36歳。セミナー講師としての活動を開始。 | 個人の施術から、集団への普及へ。 |
| 2016 | 38歳。セミナー開催が全国(福岡、大分、大阪、神戸、香川、愛媛、東京、千葉、神奈川、岡山、愛知、三重、岩手、北海道)へ広がる。 | |
| 2018 | 40歳。「言霊ヒーリング協会®」の商標を取得。タナスエ療法、太元霊氣を学ぶ。 | 融合と「待つ力」を学ぶ。引き算の静けさ。 |
| 2018〜2020 | キネシオロジー、過去生療法、太占ダウジングを開発・習得。 | 人間存在を多次元で把握し、魂の記憶を解放する道を拓く。 |
| 2019 | 41歳。アストロキネシオロジー開発。東久邇宮記念賞を受賞。 | 社会的承認。「修行者」から「公的役割」へ。 |
| 2021 | オリジナルカード「フトマニカード®」と書籍『キミも今日から! 「風の時代の」言靈ヒーラー』を発売。 | 20年の学びを結晶化。「誰でも使える宇宙の言霊体系」。 |
| 2022 | 所持金0円の「0円遍路」に挑戦、57日間で1200kmを結願。記念カード「銀フィニティー」を制作。 | 三密修行・カルマ和解。大地に刻む魂の和解。 |
| 2022〜 | 太極禅の修行を開始。 | 天地人の一体化。身体を通じて宇宙と響き合う。集団エネルギーの操法へ。 |
| 2025 | 22年の学びを統合。 | 「言霊は地球を救う」志の完成。魂の物語が一つに束ねられる。 |

きっとすべては必然に
私の生まれは三重。
伊勢神宮でも有名な海や山に囲まれたのどかな所です。
子供の頃は母子家庭だったので、父親がいないさみしさ、コンプレックスみたいなものがあったのですが、それを埋めるものに小学生のとき出会いました。
小学校の授業で初めて書いた詩がきっかけとなり、それからもう20年以上経った今も趣味で詩を綴っています。<アメブロ>
少年時代から空を見るのが好きで、今でもぼーっと空を眺めながめるのが好きです。

「めんそ~れ!」
で、有名な沖縄で暮らしてからというもの、とてもフレンドリーな性格になり、旅人もしていたことがあるので「一期一会」が染みついています。
そしてその調子で初対面の方にも接していくので、「昔から知っているみたい」とよく驚かれたりもします(笑)

そんな私ですが、思い返せば子ども時代はモジモジした子で、自分が思っていることを人に言えず、いじめられていた記憶があります。
今でも冬になると、たまに手が赤くはれ痒くなる「しもやけ」になるのですが、幼稚園当時はよく「しもやけ」なっていて、その痒いのがたまらなく嫌で、よく泣いていました。
そしてその泣いている私に、追い打ちをかけるように「しもやけかゆいよ~」と数人からからかわれ、冬になると毎日泣いていたような気がします。
小学生になってからも時々いじめられましたが、ある日堪忍袋の緒が切れて、いじめっこのリーダーに頭突きをしたら、逆に大泣きさせることができ、そこからいじめられなくなりました。
小学生のとき嫌だったのは、クラスの連絡簿の「保護者欄」に、他のみんなはお父さんの名前を書くのに私だけ「母の名前」を書くことがすごく恥ずかしく、そしてとても嫌でした。
「お父ちゃんが欲しい」
そうずっと思っていましたが、そんなことを言ったら母が悲しむと思い込んで、本当の気持ちは誰にも言えませんでした。
そしてそんな心の痛みを抱えたまま・・・、小学生~中学生~高校生へと、体だけが大きくなっていきました。
そんな私の思春期は、もちろんコンプレックスのかたまり(苦笑)
・家賃8,000円のボロボロの長屋(隣の家と屋根がずーっと繋がっている建物)
・小さくて細い一重の目
・色白で細いと言われる脚
・好きな子にも好きと言えない意気地なし…
そんな私でしたが、高校卒業は「自分らしく生きる方法を探すため!」、意を決して東京へ上京!
しかし、一生懸命「自分らしく生きる方法」を探すも、情熱はからまわり…。
ニートやホームレスも経験し、信頼していた人から裏切られ鬱になったり、夢を語り合える心友が自殺したり、ずっとコンプレックスだった父の死の真相が自殺だと知ったり…。
生きているのがこころの底から嫌なるくらい、これでもかと嫌なことが重なり、自ら命を絶とうしたこともありました。
でもその度に、必ずと言っていいほど不思議な出会いがあり、心優しいたくさんの人たちのおかげで今、私は生きていることができます。
困っているときに助けてもらえるありがたさ。その温かさ。
その感動が尖っていた私の心をとかし、人とふれ合う喜びや、イノチの尊さを教えてくれたのだと思います。
そして与えられた多くの優しさを今度は私が、他の誰かへ返してゆく。
夢は癒しのペイフォワード。
優しい誰かの想いを受け継ぎ、次の人へ伝えていくことで、世界はほんとうにHAPPYになると信じています。
そのむかし沖縄で出会った雲消し仙人はこう教えてくれました。
「イメージは現実になる」
「感じたら動け。人生の主人公はキミだ!キミの好きなように生きたらいいさ~♪」
そう何度も…。
思い返すと不思議です。
あれだけ病んでいた私がたった一つの出会いで人生が変わり、今では人様に癒しを伝えているのですから。
きっと仙人との出会い、自分の苦しみを分かってくれる人に初めて出会い、心救われたのだと思います。
仙人は私にとって、ずっと憧れ欲していた父のぬくもりを与えてくれた人ですから…。
「癒し」は人を優しくします
「癒し」はこころに余裕を生み
こころに生まれた余裕は思いやりのこころを育みます
「癒し」とはどこまでも深い共感であり
私の生きている意味であり
これから生きていく人生の意味でもあります
ここまで私の胸の内をお読みいただき、ほんとうにありがとうございます。
それではまだ見ぬあなたとご縁があったコト、そしていつの日かお会いできるコトを心よりたのしみにしております。
きっとすべては必然に
なんとかするさ~
なんくるないさ~♪

P.S
20年前に出会った雲消し仙人と同じように、今では私が雲のけし方をお伝えしています。
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