あっきぃプロフィール

あなあっぱれ!

 

たった一つの出会いで人生が激変した あっきぃ こと 水谷哲朗(みずたにあきお)です!

四国うどん県(香川県高松市)から全国へ、言靈の素晴らしさを広める活動をしています。


 

僕がヒーリングの世界に入ったキカッケは、沖縄でバーテンダーをしている25歳の頃に出会った雲を消せるおじぃとの不思議なご縁でした。

当時の僕は心を病んでいて生きていることが何より辛く、何度自分で自分のイノチを絶ってしまおうと思ったかわかりません。

 

しかし、雲を消せる不思議なおじぃとの出会いにより、

 

僕の人生は大開花!(笑)

 



 

精神世界やスピリチュアルな世界にもどっぷりハマり・・・

山籠もり、滝修行、仙人修行 etc.

霊能力者とのお祓い修業も経験し、浜辺を漂う無数の霊魂を目撃するなど(今はみえません)、現実世界ではありえない光景を目のあたりにしてきました。

しかし、そのようなことを続けていても一銭のお金にもならず「このままでは人生の先が見えないじゃないか・・・」と氣づき、

30歳を転機に三重へ帰郷。(後々分かったのですがサターン・リターンと呼ばれる影響でした)

整体、足つぼ、タイ式マッサージの仕事をはじめました。

ところがどっこい、スピリチュアルな能力を披露するとどこへ行っても変人扱いで、僕が求めている”魂の癒し”をどうしたらカタチにしていけるのか・・・。

その方法がずっと分からず、くすぶっていました。

そんなある日、友人から紹介された日月神示という一冊の書物と出逢いました。

幼いころ父を亡くしたコトがあり「神様なんて絶対信じない」と心に固く誓っていたので、宗教にハマることはなかったのですが。

日月神示に出逢い、そこに書かれていたことを実践していく内に・・・。

あれよあれよと見えない何かに導かれ、「神様ってほんまにおるんや!」と神を信じられるようになりました。あんなに頑なに拒んできたのに~(笑)

そして、見えない世界を信じられるようになり、言霊のチカラで物質的なこの肉体を変化させていく、胃上げヒーリングに出会った知った時は衝撃でした。

「え!?言霊で??? ウソでしょ~~~!!?」

言葉のチカラで人の内臓=筋肉=骨格が変化していく様子や、癒されていく姿が信じられませんでした。

 

そして、あれから月日は流れ・・・

今では私が人様に驚かれる立場になっています(笑)

 


 

水谷 哲朗(みずたに あきお)プロフィール~僕の歩んだ人生経路~

1978年

 

 
三重県生まれ。
幼少の頃は、近所の『城南神社』でかくれんぼ、缶けり遊びに明け暮れる。
小6のとき、言葉を綴る「詩」のたのしさに目覚める。
中学校卒業。
高校ではノリで生徒会長を務める。
高校卒業後、夢探しと自分探しをはじめる。
1997年 19歳。東京都練馬区の建築会社へ就職。
2002年 24歳。「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで企業を決意。
東京から⇒横浜の営業会社へ転職するも、2ヶ月でクビに。
高校時代から7年付き合っていた彼女にもフラれ、失意のどん底へ・・・。
2003年

 
25歳。地元三重に帰郷。
荒んだ生活の末「生きる意味」を求めるように。
たまたま見つけたネットの求人を見て⇒25歳のとき沖縄へ。
BARでバーテンダーをしながら自分探し。
そこで20歳の女の子を泣かせまくる怪しい仙人との出会い⇒弟子入り。
雲をけす不思議な仙人のもとで、洞窟堀り、滝修行、
山籠もりなど様々な修行にあけくれる日々。
2007年 29歳。運よく講談社の方と知り合い、その物語が講談社から電子出版。
「なんくるないさ~♪沖縄のおじぃと僕の物語 」
2008年 30歳。月5万の沖縄修行生活に、さすが将来の不安と限界を感じ帰郷。
地元三重の長島で、温泉施設のマッサージをはじめる。
2009年 31歳。趣味の「詩」を通じ、アメブロで知り合った一人の女の子に惚れ込み⇒うどん県(香川)へワープ。
2010年 32歳。不思議なチカラをもつ長女を授かる。
2013年 35歳。整体、指圧、タイ式マッサージ、足つぼ、氣功、ヒーリング、禅タロット、手相、占星術など。
「心・氣・体」の癒しの学びを統合した、ヒーリング整体サロンの開業。
2014年 36歳。言霊セミナー講師として活動をはじめる。
2015年 37歳。人気のセミナー内容をDVDとして発売。
2016年 38歳。福岡、大分、大阪、神戸、香川、愛媛、東京、千葉、神奈川、岡山、愛知、三重、岩手、北海道でのセミナーやワークショップを開催。
2017年 39歳。現在は「神=言」であることを体感できる言霊ヒーリングを広げ、より多くの方に改めて「自分の言葉」の大切さに気づいてもらえるよう活動を行っています。
 

僕の生まれは三重。

伊勢神宮でも有名な海や山に囲まれたのどかな所です。

子供の頃は母子家庭だったので、父親がいないさみしさ、コンプレックスみたいなものがあったのですが、それを埋めるものに小学生のとき出会いました。

12歳のとき小学校の授業で初めて書いた詩がきっかけとなり、それからもう20年以上・・・

趣味というか、人生のイチブになり今も詩を書き綴っています。<詩のページ>

少年時代から空を見るのが好きで、今でもぼーっと空を眺めながめるのが好きです。

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「めんそ~れ!」で有名な沖縄で暮らしてからというもの、とてもフレンドリーな性格になり。旅人もしていたことがあるので、「一期一会」が染みついています。

そしてその調子で初対面の方にも接していくので、「昔から知っているみたい」とよく驚かれたりもします(笑)


そんな僕ですが、思い返せば子ども時代はモジモジした子で、自分が思っていることを人に言えず、いじめられた記憶があります。

今でもたまに、冬になると、手が赤くはれ痒くなる「しもやけ」になるのですが、幼稚園当時はよく「しもやけ」なっていて、その痒いのがたまらなく嫌で、よく泣いていました。

そしてその泣いている僕に、追い打ちをかけるように「しもやけかゆいよ~」と数人からからかわれ、冬になると毎日泣いていたような気がします。

小学生になってからも時々いじめられましたが、ある日堪忍袋の緒が切れて、いじめっこのリーダーに頭突きをしたら、逆に大泣きさせることができ、そこからいじめられなくなりました。

小学生のとき嫌だったのは、クラスの連絡簿の「保護者欄」に、他のみんなはお父さんの名前を書くのに僕だけ「母の名前」を書くことがすごく恥ずかしく、そしてとても嫌でした。

「お父ちゃんが欲しい」

そうずっと思っていましたが、そんなことを言ったら母が悲しむと思い込んい、本当の気持ちは誰にも言えませんでした。

そしてそんな心の痛みを抱えたまま・・・小学生~中学生~高校生へと、体だけが大きくなっていきました。

そんな僕の思春期は、もちろんコンプレックスのかたまりです(笑)

・家賃8,000円のボロボロの長屋(隣の家と屋根がずーっと繋がっている建物)
・小さくて細い一重の目
・色白で細いと言われる脚
・好きな子にも好きと言えない意気地なしの自分・・・

そんな自分が嫌で、自分を変えるため、意を決しての高校デビュー☆なんだかんだで部活も楽しく、たまに恋もして、一緒にいて楽しい友人も増えてきました。

そして高校三年のときに、周囲にのせられてノリで生徒会長に!(笑)

しかし、もとがチャランポランだったので、生徒会の集まりにも出席せず、くすぶっていた日々。陸上部が全国大会に出場することになり、生徒会長の激励のスピーチを頼まれました。

「よっしゃ!全校生徒の前でおもろいことしたろ~!みんな腹抱えて笑わせたんで~(笑)」

そして友人にネタの相談をし、前日から妹に頼み込んでブラジャーを借り、意気込んで臨んだ生徒会長のスピーチ当日。

体育館に集まった全校生徒の前で壇上に立ち、締めの一言を解き放ちました。

「陸上部のみなさん、全国大会へ行ってもがんばってください!」

そう言い放つと、僕は着ていた白いTシャツの胸元を両手でつかみ、まるでアニメのワンシーンのようにビリビリビリ~っと勢いよく破りました。

すると、その下につけていた白いブラジャーがど~んと全校生徒の目にふれ、

全校一同大爆笑!体育館中にドッカンドッカン笑いの渦が巻き起こりました(笑)

任務をやりとげ、気持ち良く帰ろうとしたその日の放課後。

「生徒会長の水谷さん、今すぐ体育室にきなさい」

ちょっと不機嫌なアナウンスに、身の危険を感じながら体育室にいくと。いきなり胸倉をつかまれ、壁にドーン!

「いってー・・・」

ごっつい体育教師5、6人に取り囲まれ愛の鉄拳とお説教を浴びました。

生徒会長のスピーチがどうやらやりすぎてしまったらしく。体育教師によると、陸上部に病気で亡くなった子がいて、その子のために全国大会いくぞ~!となっていたのに。

ブラジャーど~ん!って見せたから、カンカンに怒られたようです。

僕はただみんなを笑わせて、元気づけたかったのですが、ゴリラみたいな体育教師にかこまれたら、自分の意見なんて言えませんでした。

「悲しんだって、死んだ人が生き返るわけじゃないのに、なんで悲しまなあかんのやろ?

それやったら笑って見送ってあげた方が、俺やったら嬉しいのにな」

そう思ってブラジャーど~ん!ってしたのに・・・。

「くっそ~!自分の考えを伝えられないって悔しい~~~!」

生まれてはじめて悔しさというものに打ち震え、その出来事があってから「自分らしく生きる」という僕の挑戦がはじまったように思います。

 

高校卒業は東京に上京。しかし、自分らしく生きる方法を探す僕の情熱はからまわり・・・。

ニートやホームレスも経験し、信頼していた人から裏切られ鬱になったり、夢を語り合える心友が自殺したり、ずっとコンプレックスだった父の死の真相が、自殺だと知ったり・・・。

生きているのがこころの底から嫌なるくらい、これでもかと嫌なことが重なり、自ら命を絶とうしたこともありました。

でもその度に、必ずと言っていいほど不思議な出会いがあり、心優しいたくさんの人たちのおかげで今、僕は生きていることができます。

困っているときに助けてもらえるありがたさ。その温かさ。

その感動が尖っていた僕の心をとかし、人とふれ合う喜びや、イノチの尊さを教えてくれたのだと思います。そして与えられた多くの優しさを今度は僕が、他の誰かへ返していく・・・。

夢は癒しのペイフォワード!

優しい誰かの想いを、より多くの人に伝えていくことで、世界はほんとうにHAPPYになるものだと僕は思います。

そのむかし沖縄で出会った雲けし仙人はこう教えてくれました。

「イメージは現実になる!」

「感じたら動け。人生の主人公はキミだ!キミの好きなように生きたらいいさ~♪」

そう何度も僕に伝えてくれました。

あれから月日は流れ、今僕は、言靈とイメージを合わせたヒーリングで、人様の心身にかかる雲(思い込み)をけす仕事をしています。

 

思い返すと不思議です。

あれだけ病んでいた僕が、たった一つの出会いで人生が変わり、今では人様に癒しを伝えているのですから。

きっと仙人との出会い、自分の苦しみを分かってくれる人に初めて出会い、僕の心は救われたのだと思います。

仙人は僕にとって、ずっと憧れ欲していた父のぬくもりを与えてくれた人ですから。

 

「癒し」は人を優しくします

「癒し」はこころに余裕を生み

こころに生まれた余裕は、思いやりのこころを育みます

「癒し」とは、どこまでも深い共感であり

「癒し」とは、僕の生きている意味であり

これから生きていく人生の意味でもあります

 

このイノチが今も存在するのは沢山の方々のおかげです

ヒーラーを目指す人は誰もが、苦しい経験をするのでしょう。そしてその苦しみの経験こそが人を癒すチカラ、ヒーリング力として開花していくのだと思います。

僕は苦しみを悪だとは思いません。過去の苦しみがあったからこそ、今目の前にいる人に深く共感するコトが出来き、優しい微笑みを贈ることが出来るのだと思います。

自分のコトのように誰かを思う

そのチカラこそがアイであり、アイこそがヒーリングの本質だと思います。

 

アイある言葉で世界を変える

そんなヒーラーを目指し、目の前にいる人と向きあい、胸に溢れる思いをご縁ある方へ伝えていければと思います。

 

ここまで僕の胸の内をお読みいただき、ほんとうにありがとうございます。

まだ見ぬあなた様とご縁があったコト、そしていつの日かお会いできるコトを心よりたのしみにしております。

あっきぃ 拝

 
10年前に出会った雲けし仙人と同じように、今では僕が「雲のけし方」をお伝えしています。
『雲をけす5つのルール!メールセミナー初級』(全5回/無料) 
二十代の頃に運よく講談社から出版された本です(笑)


 

 

きっとすべては必然に

 

なんとかするさ~

 

なんとかなるさ~

 

なんくるないさ~♪

 

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